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宣告から10年目の春が訪れようとしています。
投稿当時の拙い記録のままですが、残すことにします。
今、辛い想いをされているどなたかの励みになりますように。
雨のち晴れ。今日も大切によい一日をお過ごしください。
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サルコーマの宣告から丸3年【2015年3月16日・宣告の記録】
希少がんの宣告
2015年3月16日のこと。W大学病院の婦人科。当時、子宮筋腫が大きくなっているのか? おなかが膨らんでいて、食べなくてもまるでひっこまない状態で、婦人科先生の指示で2月20日にMRIを受けていました。その検査結果を聞きに行った日のことです。
いつもの優しいK先生のお顔が、その日は深刻。「えっと?なんかやだな...」と、私の口から出てしまった直感の言葉。先生が「...うん。....肉腫の疑いがある...。」
「なにか悪いモノですか?」って聞き返したくらいに、当時の私は全くの無知でした...。
一旦、診察室の外で待つことになり、再度、呼ばれて戻ると「消化器外科の先生にお願いしたから、2Fに行ってね」って。そして、私の目をしっかり見て「とにかく、帰り道は、気をつけて帰ってね」って。
あの瞬間のK先生のお顔は今でも忘れられず、本当に良い先生と出会えたことに感謝しています。
手術しかない
あ~、なんだかわかんないけど、大変なことになったみたいだ。
診察の手順とか、いろいろ説明を受けていたのだけど、2Fということしか覚えていなくて、とにかく2Fで受付をして待ちました。混乱したまましばらく待って、診察室に呼ばれました。命の恩人O先生との出会いです。
手術しかないこと、ほぼ希少がんで、早急に手術の日程を決めて行くから、このまま検査を受けられるだけ受けて帰ってほしいこと、がんには、ひらがなで書くがんと漢字で書く癌があって..ムニャムニャムニャ...。その時の私に理解できる知識も強い気持ちもなく。
その後、造影剤を使用するCT、腹部超音波検査、心電図、呼吸機能検査、血液・尿検査と、本人のわけのわからない意識を置き去りにしたまま、大学病院の検査はテキパキと夕方まで続きました。
手元の診療明細書と手帳によると、残りの検査と再診を23日(循環器内科、心電図2回目、婦人科、消化器外科)と27日(心臓超音波、循環器内科結果、麻酔科)に受けています。
こぼれ落ちる涙
検査の待ち時間、病院の椅子に座り、スマホで「サルコーマ」を検索して怯えたり、Opal毛糸でソックスを編んだりしながら、ポロポロポロポロと涙をこぼしていたことを覚えています。その間に家族が来てくれました。
この時から次の診察までの、仕事以外の時間や一人の時間は、よく泣きました。まさに一通り泣きました。人生にはこんな突然があるんだなぁと、サルコーマという病に対する覚悟を決めていたように思います。
先に書いておくと、私の病気の診断名は、退院時は「後腹膜腫瘍」で、手術後の病理検査の結果「高分化型脂肪肉腫」と診断されました。肉腫=サルコーマですが、肉腫という言葉が苦手なので、今後もサルコーマと書くことにします。
O先生のおかげで、初診の翌々日には日程を決めてくださって、4月の始めに手術することになりました。
宣告までの経緯
サルコーマブログの皆さまへお礼
私は自分を支えるのがやっとで、なかなか文章にすることが出来なかったけれど、私にも書く務めがあると思うようになりました。
3年が経ち、サルコーマを体験する以前の自分よりも、今の自分の方が好きなので、書けると思います。
私の経過記録です(つづく)
①宣告の日の記録→本日の記事です。
②半年前の様子
③手術前日の記録④サルコーマの手術当日の記録⑤サルコーマ入院中の記録⑥2度目の手術・入院の記録
『いのちのダンス 舞姫の選択』
私を支えてくれたブログのひとつに、元ミス日本の吉野ゆりえさんの『キャンサーギフト』19度の手術を克服!「忘れられたがん」肉腫(サルコーマ)と共存する元ミス日本・吉野ゆりえの感謝&いきいきBlog があります。
闘病中もいつも華やかで、「サルコーマセンターを設立する会」を発足させたり精力的に行動をなさっていました。ご本も読ませていただいて、感謝しています。
★吉野ゆりえさんの最後のブログ↓↓ https://www.rue-rouelle39.com/entry/2018/07/07/165840www.rue-rouelle39.com
いつもありがとうございます。またね!