11年目の春が来ました
宣告を受け、覚悟をし、大手術を受けてから、再発のないまま、11年目の春が来た。
11年前の春、泣き通す私を励ましてくれた「小さくて大きな存在のムスカリ」は、今年もまた元気いっぱいに紫色の顔を見せてくれた。
死ななかった。
死ぬかも知れない覚悟をしていたけれど、今のところ、おかげさまで再発もなく普通に暮らせている。
良く書くことだけど、命の残り時間は健康・闘病中にかかわらず誰にもわからないのだから、もちろんいつ死ぬことになるのかはわからないけど。
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4月のあの日、Y教授がO先生が、「つるん」と私の悪い物を切り取ってくださった。「つるん」というのは、O先生の表現で、手術後にその単語を聞いた時、すごく上手に切ってくださったのだなぁとわかった。
あの手術のお陰で、先生方のご判断・知識・技術・愛情のお陰で、毎年のように手術になる可能性を言われていた病名だったけれど、再発せずに、しかも元気で生きていられる。
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最高の技術で手術していただいた経験から、最近のAIへと話が飛ぶのだけど。
最近は、数の多いこと・タイパ・コスパが是とされている風潮だけれど、やっぱり質こそが尊ぶべきものだと思う。おざなりな100より、丁寧で熱を持った結果にこそ出現する質・技術。
AIにお願いして、簡単にお金稼いで数字を稼いで、出来る人の気になって得意気になっている人達の方が多いように思うけれど、
「あなたが生きている意味はなんですか」と思う。
2026年4月。AIが加速度的に進化している時代にあっても...
私は、どぼどぼでもぐすぐすでも、自分の脳・自分の手が産み出したものしか、美しいと思わないし、喜ばしいと思わないです。整った賢そうな文章ではなくても、芯からこぼれた言葉で綴れていたらそれで十分。
これから先も、生かしていただいた命の中にある、自分自身の持ち味を生かしてあげたい。それを見たいし、死ぬときに自分に「持ち味をちゃんと使い切ったね。良く出来ました。」と言ってあげたい。
と書いておきたくなった11年目の春。
あの日、手術に関わってくださった先生方、看護師の皆さま、家族へ。心からありがとうございます。死を覚悟した病気のお陰で見えることがある。不穏な時代だけど変な世の中を諦めずに、花や木のように淡々と覚悟して生きようと決めています。
それでは皆さま、ご自愛くださいね。お互いに。またね!















