どんな病気になるかではなく、どんな先生に出会えるか
わたしは、過去に、珍しい病気(10万人に1人の肉腫)になりました。
当時もその後も、その病と闘おうと思ったことはなくて、寄り添おうと思ってた。
珍しい病気なので、「同じ病気になり不安です」とお手紙をくださった方と、これまで4名ほど出会いました。「安心していてください。大丈夫ですよ。」というお返事を書きながら、そう信じるのでそう書きながら、その方(かた)の手術が済むまで無事に過ぎゆくよう祈ります。
お手紙がもしも、「負けません」とか「闘います」とおっしゃる方だったら、わたしのようなタイプからのお返事は合わないと思うので、あまり的確な言葉が浮かばないと思う。
珍しい病気になったけど、病気になったのは、なんらかの原因はあるのだから、自分の人生だから、自分が預かっている身体だから、自分で出来ることはしながら、その病気にそっと寄り添う。耳を傾ける。撫でる。大丈夫大丈夫。
それでいい。それでよくて、それしかなくて、それ以上自分の思い通りに出来ることではない、と感じていた。
その時のお医者様や情報との縁に素直に流れを任せ、自身の命の持ち味に委ねるだけ。天にお任せです。
そんな風で身体を思い通りにしようと思わなかった私ですが、どんな病気になるかではなく、どんな先生に出会えるか、は大きいことを知りました。
主治医の尾形哲(おがたさとし)先生は、手術も説明もお話も処方も素晴らしい上に、癒やしの波動をお持ちの先生でした。