命の恩書
わたしが、わけのわからない珍しい病気になってしまった時に、出会った本の話です。
赤ずきんちゃんの狼さんのように、病気のお腹をパカっと開いて切って取り出して縫ってもらって、とはいえ、「もうすぐ死ぬのかなぁ」と思いながら過ごしていた時に、3冊の本と出会いました。
直感が信じました。いい考え方だなぁと思って、これら3冊の本は繰り返し繰り返し読みました。今もすぐ手の届く本棚に並べ大切にしています。
ルイジ・コルナロ『無病法~極少食の威力』
著者は16世紀イタリアの貴族、ルイジ・コルナロ。題名は『無病法~極少食の威力』です。
西欧では、歴史的に最も有名な長寿者であるにもかかわらず、日本ではほとんど知られていない人物。それが本書の著者ルイジ・コルナロである。コルナロはいわば「食べない健康法」の元祖。
時は16世紀のイタリア。病気がちで生死の淵をさまよった彼は、医師の忠告で節食生活を始める。すると、たちまち病は快癒し、ついには当時としては異例の102歳という天寿を全うする。彼はその体験をもとに、食を節すること(極少食)がいかに心身ともに良い影響を与え、また人間の運命をも変え得るものかを83歳から書いて配り始めた。その手記は評判を呼び、各国で翻訳されながら読み継がれ、後にフランシス・ベーコンやニーチェほか多くの有名人が言及しているほどである。
この「食養のバイブル」とも言われる古典的名著が、ついに待望の邦訳! 活性酸素やサーチュイン遺伝子など現代の知見から見た懇切な解説も付いており、より深い理解を助けてくれる。
以前から身体に良い考え方や話には敏感な方で、自分は病気とは縁遠いはずだとあなどっていました。ところが、10万人に1,2人という稀な大きな病気になってしまいました。
退院後、1ヶ月ほどの療養を経て、以前のように書店を覗くようになりました。健康本のコーナーに足が向きます。そしてその度に、心の中でくすぶる感情がありました。
「そんなこと、ぜ~んぶ気をつけている。知っている。知っていても、若くても、生死にかかわる病気になるのよ...」
今となっては懐かしいささくれた感情だけど、「知ってる!知ってる!知ってる!!」と、書店の健康本を右から左へダダダと倒してしまいたいような気さえしていました。
「○※○にならない食事」「病気の原因は○※○」「医者が教える○※○」「○※○を食べて健康に」...。本棚全部、ばかばかしい気がしました。薄っぺらな知識本のタイトルに、辟易していました。
そんな感情が起こる日々の中で、『無病法~極少食の威力』に出会いました。まさしくこれが知りたかった、と思いました。その頃の自分には、世間一般に語られる知識の寄せ集めは不要でした。本能から気づかれた知恵がすーっと浸透していくのでした。
自分の直感が「あ~、そうだろう」と思いました。「食べることを欲張らない」「歩く」という考え方でした。その2点を心がけていれば、もしかしたら...、と思いました。もしかすることがなくても...、その考え方が好きだと思いました。
水野南北『食は運命を左右する』
当時、コルナロと合わせて出会ったこちらの本も、食事の量を戒めるという本でした。こちらが先だったかも知れません。「食」を欲張らないことが運命を左右していくようです。
水野南北の『食は運命を左右する』は、今となっては高価となり入手困難です。
あの時は、天が助けてくれたのか、たまたま定価の追加での再販を「たまいらぼ出版」が開始されました。タイミングよく入手することが出来ました。今もよく読み返します。
運命の吉凶は食で決まる。
水野南北は江戸時代の観相家であったから、現代人でその名を知る人は少ない。しかし、貝原益軒に勝るとも劣らぬ健康法を発表していたのである。それは個人の健康についてだけでなく、食糧危機・エネルギー危機・人口増加問題など、現代がかかえる難問題すら解決できる杜会の健康法でもあった。
食べ物って、命と直結しているから、欲張ったらダメなんです。命と直結しているなら、美味しいものをたくさん食べた方がいいんじゃないか?と思うでしょう。そこなんです。誰もの命が大切なのです。
自分の口にたくさん入れた瞬間、自分の排泄物になっていくもの。自分の口に入れる食べ物だけは、食べ物だけは、自分以外に使い道がない。つまり「食」の欲張りは自分だけのための欲張りということになる。
ということはその逆に、周りの人たちに食を振舞えたら、それは本当に素晴らしいことでもあります。父がよく「お客様がいらしたら、お腹いっぱいになって帰ってもらいなさい」と言っていたけれど、今思うと、とても深い意味があるなぁと感じます。
『鬼滅の刃』の主人公・炭治郎が、「食うか?」と言って1個しかないおにぎりを善逸に渡すシーンも好きで、こういうことが自然に出来る人に感動します。
引用:amazon奇跡のお米「伊勢ひかり」 #ありがたやありがたや
わたしは、粗食が好きです。お米と旬のもの和のものをいただければもう十分有り難いし、ご飯・お味噌汁・納豆・カボチャの煮付け・自分の糠漬けあたりが定番です。
一般的には「○○店の○○円の○○」とかいう肩書があるご馳走を食べに行ける方がラッキーと思うと思います。わたしは、いわゆるご馳走を食べなくてもいいので少数派かもしれません。(「味覚が情報に左右されやすい話」についても書きたいけど...←ということを忘れないために( ..)φメモメモ)
運や無病はもとより、目の前に立ち塞がる社会問題への免疫力を上げておくためにも「食」と「食の量」は大事だと思っています。
住野よる『君の膵臓をたべたい』
今なお大切にしている恩書3冊のうち、この小説は少食とは関係ないですが、ご紹介です。2015年春、当時の新人作家さんのデビュー小説、住野よるさんの『君の膵臓をたべたい』です。
繰り返し繰り返し読みました。術後1ヶ月くらいに、通勤駅の本屋さんで出会った本で、自分と重ね合わせて励まされました。
以前、Twitterで著者の住野よるさんに、命の恩著であることのお礼を書いたことがあります。『キミスイ』が発売されて丸4年めの住野さんご自身のツイート投稿に、初版単行本の画像と共にお礼を書きました。お礼を言える機会があってよかったと想いました。(ちなみに、たりるんはブログは書くけれどTwitter(X)では、ほぼつぶやかないタイプなので)
そしたらなんと住野よるさんご自身が「お互いに長く生きましょう」とお返事をくださいました。その言葉も、強力な魔法のひとつになったと思います。
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もしもなにか悩んでいて、ふと「あれ?少食の妙??」と気になられた方には、これも縁です。コルナロの『無病法』・水野南北に関する本をぜひ読んでみてくださいね。