たいせつなたいせつなたいせつないのちへ
◆バン
たりるんの「ルーエル通り39番地」というブログは、2021年の5月と8月に、2度B∀Nされました。
2度目は、自分さえ自分のブログに突然入れなくなったほどの厳しい措置で、「そんな目に遭うようなことは書いていない」のだから、穏やかな抗議をしました。
ブログ会社のバン担当さんは、「早く他ブログに引っ越してください」と、「ただ、違法ではないと判断したので」と返事が来た後に、自分だけは見られるようになりました。
言葉の会社が、「違法」という単語を軽々しく放つ対応に、私の方が驚いた。「すぐに出よう」と決めた。将来的にはあなた方が彼らの計画に加担したことになる...かもしれないのに...、と思った。
◆叫び
少しずつ明らかになってきているように、あの液体を身体にいれてよいはずがない。その考えは当初から変わらない。以前も書いたけれど、答えは見えるところに書いてある。
私がB∀Nされても、別の誰かが書いてくださっているし、そもそも、きちんと「こんなにも危険だ」とデータや文書や論文などを引用して書いておられる方がいる。
5月のあの夜、ブログで叫んだ。
心の声は、本当に叫んでいた。
みんな、Uたないでください。Uったら、おかしなことが起きちゃうよ。
◆直感
この気持ちが届く、届かないは、仕方がないけど、もしかして、ひとりでもふたりでも、たりるんがなにか言っているから、ちょっと調べてみようって思ってくれたらいいな~。って思った。
そんな影響力はこれっぽっちもないとわかっていても、あの頃は、叫ばずにはいられなかった。
わたしは、おっとりしている方だけど、子どもの頃から、なんとなくわかるところがあって(誰でもそうかもしれないけど)、先のことがわかるところがあって、相手の嘘とか、見えないところで行われていることもわかったり...(誰でも感じるのかも知れないけど)。
◆無力
ただ。ブログでは叫べても、リアルな人には言えない。身近な彼と母、ふたりだけとしか話さないと決めている。Uったら危険なのにね。検査も負のスパイラル。多少のことでは病院も行かない。
そもそも、誰かにUつ人、Uたせるよう指示する人は、閻魔様に記録されちゃうのだろう。子ども目線でそんな風に思う。
◆友人
今日こんなことをここに書いてしまっているのは、とても大切に想っている友人が、ワクや検査を受け入れていると、知ったからです。
悲しかった。
さっきまで、ポロポロ泣いてた。
「Uつの?やめた方がいいよ」ってリアルな友達には言いたくても言えない。その人やご家族の選択だから。その液が、検査が、重要だ良いものだと感じている人に、口出しは出来ない。
もう、ほんと、悲しいけれど、どんなに好きな人達でも、この時代のこの選択だけは、ほんと、仕方がない。介入しちゃいけないことだから。ブログで叫ぶ以外は無力です。
◆別々の道
だから、純粋でいたいけな日本人にはなにごとも起きませんように☆彡と、私はそこを信じているけれど、頭の片隅のどこかには「2年後」という恐ろしさが残っていて。
その、大切に想っている友人と、今の世界への考え方・捉え方の二差路で、別々の道を進んでいたんだと知って、ほんとうに悲しい。私の命が消えそうな時、遠くから近くで支えて、生かしてくれたのに...。
◆傲慢か謙虚か
ここからは、一般の話だけど。
疑念を抱かずに受ける人達は、自分は死なないと思っているのだろう。それは、傲慢だと思う。身体に入れた液体の中身はなんですか?Uつ券の説明書にだって書いてある。権威側は責任を取らなくてよいように「任意ですけど、なにか?」と言ってる。
わたしは、命が突然終わる感覚を知っている。だから、少なくとも、自分から「人工的な4」に近づく恐れがあること、そんなこと、自分の生命に申し訳ないことは、ほんと出来ない。(自然に4ぬことは自分の身体の持ち味なので、あの時以来、受け入れています)
誰ももう、ハーメルンの笛吹きについていかないで。今からでも戻って来てほしい。
ここまで、深夜に書いて、投稿を迷って2日経ちました。
#君の分かんないところで
#僕も今奏でてるよ