行間から垣間見えるものに惹かれるかどうか
本が好きだ。
文字が好きだ。
日本語が好きだ。
あ。語学そのものが好きだっけ。フランス語も、ポルトガル語も。
ギリシャ語も習ったことがある。ギリシャ語はかなり無理があったけど。
◆好きなブログ
そんなわけで、ブログが好きだ。
同じ文字でも、ツイッター向きの性格ではないのでツイートは苦手だけど、PCでタイピングしながら思考出来て、推敲出来るブログはとても好き。
今日みたいな独り言を書くのも好きだけど、好きな人達のブログを読むのも好き。
本でも、ブログでも、「行間」を読むのも好き。
リーさまブログはもう15年目の日課で、オカさん、ITさん...、編み物ブログでも必ず読ませていただく柔らかぁなブログ、編み物過疎期(2018以前)から書いてくださっている先輩方のブログ...。
好きなブログは、私に優しい感情をもたらす。
ことだまが、文字にのっかっている。
その人自身が充ち満ちていて、こぼれている空気が優しいんだ。
これは不思議なんだけど、ぜったいにこぼれている。
行間から、自我ではない愛情が伝わってくる。
一方、かなりの情報量を上手に整理することで、検索上位に出てくるブログ(や動画)がある。二番煎じのにわか情報、幅広く集めた情報を、上手に整理して組み合わせた感じの...。
「丁寧や詳しい」があっても、「その人自身の芯から溢れ出たもの」がない時、そんな文字の集合はつまんないなって思う。
感情より先に整理された文字。薄さと懸命さが、今のフェイク時代にちょうどいいんだろう。AI好み。
わずかにある感情の使い方さえ、誰かの模倣。心が、重箱みたい、窮屈そうだなぁ~と思う。そのせいか、ところどころに無意識に置かれた「粗い単語」。
行間にあるトゲとか、その人の心が「空」のようか「重箱」のようかとか、そのあたりの空気は、AIには感じ取れないのだろう。
気配や空気や匂いは、人の心でしか察知出来ない。というか、対人間では、一番大切にしなくちゃいけない部分は誤魔化せない、と言える。
とはいえ。
いろんな好みがあって。
「何書く自由」でもあって。
そんな中、現実では会うことさえない、好きなブログの主様と、文章や行間だけのお付き合いなのに、「心が通う」というのは、本当に貴重。
たりるんはあまのじゃくなので笑、自分でピッと出会えた人、モノ、コトが好きなので、「人気や流行り」から惹かれることは少ない。
圧倒的人気の「りーさまブログ」も、たりるんが読み始めた頃は、INが3000(300人/日ってこと)くらいだったっけ。初期から読んでいる「オカさんブログ」も、このご時世ではググっても出て来ないのに、今や、この時代にはなくてはならない存在になっていて、いろいろと懐かしい。
わたしは、お釈迦様の前のうさぎさんになって、日々お話を聞いている。ほんと、そんな感じ。
たりるんにとっての人気ブログはみんな、愛情と情熱をぼとぼとこぼしてる。体当たりなんだ。どういう人か透けて見える。
たりるんが好きなブロガーの皆さま、時間を注いで書いてくださって、生き様を魅せてくださって、知恵と柔らかな時をくださって、ありがとうございます。力をいただいています。
たりるんはいつもなんにしても、大らかで、泥臭くて、どーんと照らすお日様のような匂いが、好きです。