「猫の恩返し」のような『ウツ』との思い出
私の飼い猫のスコは玉のような声で鳴く。顔を近づけると「ふるぅルん♪」と鳴く。ん? 今聞こえたのは、鈴の音?
邪気のない美しい鳴き声は、10歳を過ぎた今も健在だ。たまらなくなって抱きしめる。曲線だけで構成されたその柔らかな、水の塊のような身体が、私の腕のなかでとろけそうになる。
◇
そんなにも可愛い声の猫がこの世に存在するというのに、お隣に暮らす猫は、残念なことに、ダミ声で「びえー」と鳴く。しかも、声が大きい。
「びえー、びえー、びえー」
ある日、お隣のお兄さんと玄関先で会った時に、猫も顔合わせをすることになった。
「お名前は、なにちゃんですかぁ?」
「ウツ、です」
鬱? え? 今、なんて? 口をあけて3秒止まって、湧いた疑問は湧かなかったことにして、私はそのまま呼んでみる。
「ゥツちゃん、はじめまして~♡」
ちなみに、皆様のご想像通り、出だしのゥ、は声が小さくなってしまった。
「びえー」
名前とは真逆で、繊細な感情とは縁遠そうな体格の良いイケメンウツは、ご機嫌麗しく、挨拶を返してすりすりしてくる。
◇
お隣りのお兄さんは、同棲中で、お兄さん、お姉さん、ウツの3人暮らしだった。
ある日、お兄さんがお仕事でお留守の時間。お姉さんプラス知らない男性がやってきて、ほんの数時間で、お姉さんの荷物を運び出し、お姉さんは荷物と一緒にいなくなってしまった。
傷心したであろうお兄さんは、空っぽの部屋にいるのが辛すぎたのか、3日ほど部屋に帰ってこなかった。
夜中に聞こえてくる「びえー、びえー、びえーーーっ」
ウツが、玄関ドアギリギリのところまで来て泣いている。いつもよりさらに大きい、張り裂けそうな必死のびえーーー。その鳴き声がかわいそうで胸がしめつけられる。
そうだよね、死ぬほど寂しいよね...、お腹すいたよね...。私は隣りの玄関ドアの前にしゃがみこんで、声をかける。
「ウツ、ウツ、大丈夫だよ。ウツ、お兄さんすぐに帰ってくるよ」
少しだけやわらぐしゃがれた「びえ」
出来るものなら、家宅侵入罪に問われようとも、玄関のカギを壊して、中に入って、ウツを抱きしめてあげたい。お腹いっぱい食べさせてあげたい。トイレの砂を換えてあげたい。
カギを壊せない常識的で無力な私は、ドアの前にしゃがんだまま、ドア越しにウツと向かいあって、途方に暮れて、ウツの気持ちを思って一緒に泣くことしか出来なかった。
◇
それから、数年が経って。私が大きな手術をして、退院数日後のお昼のこと。
「痛いよ~。死ぬのかなぁ。怖いよ~。再発、手術の繰り返しだって~。」
泣きべそをかきながら、自宅療養でベッドにいた時のこと。すごく近くで、「びえ~♡」という優しい鳴き声がした。ん? 気のせい? ベランダを見ると、すぐそこにウツが座って私を見ている。ベランダの仕切りをどうやってくぐったのだろうか。
「うわぁ、ウツ~。お見舞いに来てくれたの~?」
「びえ~♡♡」
どうして、私がこんな病気になったとわかったのだろう?
...
それは、ウツが私の家を訪ねてくれた、最初で最後、一度きりの、私には『にほん昔ばなし』のような出来事でした。ウツのことは助けてあげられなかったのに、ウツは、助けに来てくれたような気がしました。
◇
お兄さんとウツは、昨年引っ越しをなさったので、もうあのダミ声を聞くことは出来ません。生き生きと生命が漲っている、元気いっぱいのウツのダミ声。好きだった。声を聞くだけで元気が出た。きっとあのコは、お猫様だったんだ。
ウツは今日も、新しいおうちで、大きな声で、お兄さんやお隣さんを励まし続けてると思う。ウツ、あの時はありがとう。お蔭で生きてるよ。
うそのようなほんとの出来事で、こんな体験をされた方は、きっとたくさんおられるのだろう。人間が勝手に「ネコには人間の言葉はわからない」と思っているだけで、人間と動物、植物は、普通に会話が出来ているんだよね。
会話って、言葉じゃないものね。会話って、心の動きのやり取りだものね。